PROJECT 02. 放水銃システム PROJECT 02. 放水銃システム

PROJECT 02. 放水銃システム“今までにない消火システムを”
放水銃開発への挑戦。

ホーチキの消火システムに“大規模放水銃システム”というものがある。ドーム球場やイベント施設のような、大規模な建築物や高天井空間で発生した初期の火災を検出し、大型の銃で放水して消火するというものだ。これは、ホーチキが世界で初めて開発したシステムである。

このシステムを初めて導入したのが東京ドームだった。
今では多くの施設に導入されている大規模放水銃システム。背景には、“今までにない消火システムを開発しよう”というメンバー達の想いがあった。当時、開発メンバーの一人として参加していた営業本部の宮崎に、プロジェクトを振り返ってもらった。

「荒唐無稽な発想だったんです」

スプリンクラーの設置が義務付けられる施設は、消防法で決められている。不特定多数の人が出入りする大型の施設には、その規模に見合った機能を有する消火システムが必要だ。

当時はまだ、ドーム球場のような大規模な施設に対応した消火システムは存在しなかった。高い天井に対して、従来のスプリンクラー設備では、有効な火災感知や消火ができない恐れがあったのだ。東京ドームのような空気膜構造の天井には、スプリンクラーや配管を設置すること自体も難しかった。

設計・施工を担当していたゼネコンの担当者は、頭を悩ませていた。そして、「この施設に合うシステムを提案して欲しい」と私たちホーチキに声を掛けたのだ。

しかし、従来の消火システムで東京ドームに対応することは、不可能に近かった。新しい消火システムが必要だったのだ。
「そんな中、メンバーの一人が『水鉄砲の原理を応用して、遠くの火を消せないだろうか』と言い出して。振り返ってみると、荒唐無稽な発想だったのかもしれません。」

そうして、放水銃システムの開発が始まった。

高性能監視センサーの応用

消火をするためには、まず火災が起こっている場所を特定する検出器が必要になる。
時代は1980年代半ば。今のようにコンピュータ技術は発達しておらず、画像の解像度も低い。当時の映像技術をそのまま活用することは難しかった。

「そんな状況の中、メンバーが展示会で面白い技術を見つけてきたんです。」

それは、鋼鉄の圧延ライン上で温度を監視するセンサーだった。高温の環境下でも、燃焼物から放出される赤外線を検出できるものだ。

「これしかないと思いましたね。そして、早速実験したんです。すると、200m先で燃えている小さな炭もバッチリ検出できました。」

圧延ラインの場合は決まった部分を監視すればよいので、センサー自体を動かす必要はない。しかし、ドーム球場では広範囲をカバーする必要がある。
そこで、鏡を回転させて光学的に垂直走査するセンサーを、さらに水平方向に190°旋回させる方法を採った。それによって、隅々まで監視できる“走査型火災検出器”の開発に成功したのだ。

「この大砲がないと、東京ドームは建てられないんだ」

検出器の開発と並行して、放水の方法も考えなければならない。
「圧縮空気を利用すれば、水を遠くまで飛ばすことができる」という他の開発者の助言を元に、宮崎は放水銃の開発に取り掛かった。

「目標の飛距離は80m。東京ドームをカバーするだけの性能を担保するには、それだけの飛距離が必要でした。水を遠くに飛ばす仕組みを作るのが、一番大変でしたね。」

力任せの放水をすると飛距離は出るが、水圧と水量が大きくなる。それによって周囲の人や物など、消火対象物以外にもダメージを与えかねない。必要最小限の水量で、遠くまで放水できる技術が求められた。

「当時の社内に今のような防災実験場はなく、大阪にあるゼネコンの資材置き場を使わせてもらいました。最初の実験では、放水銃の原型になる大砲のような物を試作しましたが、見事に失敗。2~3mしか水を飛ばせなかったんです。」

当初の実験では、二重にした筒の内側の筒で、圧縮空気と水を混ぜて一緒に押し出す手法を取り入れていた。しかし、外側の筒の中の空気がマイナスの圧力として作用し、放水する力を完全に奪ってしまっていたのだ。

「ゼネコンの担当者も『どうすればいいんだ・・・この放水銃がないと、東京ドームは建てられないんだ』と仰っていて。私たちも焦りました。よく調べてみると、外側からの空気を取り込む必要があると判明したんです。そこで思い切って、その場で外側の筒にドリルで穴を空けました。すると、50m先までビューッ!と水が飛んでいって。それでも、目標には全然及んでいません。そこから何度も改良を重ね、飛距離も徐々に伸びていきました。しかも、圧縮空気は霧状に広がる作用があり、広い範囲を少ない水量でカバーすることにも成功したんです。そして、ようやくクリスマスイブの日に目標の80mを達成しました。あの時は嬉しかったですね。」

自身を突き動かした原動力

幾度もの試作、実験を重ねてようやく完成した世界初の放水銃システム。“今までにない消火システムを開発しよう”という想いを実現させた結果、幾つもの特許を取得することとなった。
現在では大規模空間だけでなく、体育館や病院、オフィスビルなどの中規模・小規模空間向けの放水銃も開発され、その活躍の場は多岐に渡っている。

宮崎を突き動かした原動力は何だったのだろうか。プロジェクトを振り返り、こう語ってくれた。

「なんとかして開発してやろうという一心で、毎日必死に働きました。大変でしたけど、とにかく面白かったんです。この経験が『消防用設備はこうあるべきだ』という自分自身の考え方の基礎を作っています。」

宮崎がプロジェクトをやりきることができた背景には、最後まで諦めないという信念と、新しいシステムの開発を心から楽しむ前向きな姿勢があった。

※所属部署・役職は取材当時のものです。

宮崎 謙介

宮崎 謙介

営業本部 消火グループ
事業推進部 担当部長

PROFILE

1975年入社。入社後、本社の営業技術部で消火設備の技術開発に携わる。8年目で東京ドームのプロジェクトに参加し、放水銃システムの開発に貢献。現在は営業本部に所属し、事業推進部の担当部長として活躍している。